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息が止まる。
周りの空気が静かに固まっていく。


「はーい!お疲れ様ー!!」


やけにしんとしているスタジオに、不釣り合いな明るいカメラマンの声が響く。
すっかり固まってしまったキュヒョンは、スタッフたちが動き出しても、体を動かせなかった。


「キュヒョナ、ちょっと」


ぼうっとその場で固まっていると、怒ったような口調のヒョクチェに腕を掴まれる。
ハッとなってあっさりと手の力を抜くと、キュヒョンの体はグイグイとヒョクチェに引っ張られた。

声が出ない。頭の中が分からない。
なんであんなことをしたんだろう。全然分からない。こんなの、自分らしくないじゃないか。





ぐんぐんとヒョクチェに引っ張られる。
この華奢な体のどこにそんな力があるのか。

ただその力に身を任せて歩いていると、いつの間にか楽屋まで戻ってきていた。


「キュヒョナ!お前何考えてんだよ!!」


部屋に入るなり、血相を変えたヒョクチェが勢いよく振り向いて言った。
どうせそういうことだろうと分かっていたキュヒョンは、短く笑って軽く頭を下げる。


「撮影中だったんだぞ!?下手したら大変なことに…」

「はいはい。もう終わったことじゃないですか。」

「なっ…仕事はちゃんとやれってあれだけ言ったのに…」

「終わりよければすべてよし、です。」


キュヒョンが得意げに言うと、ヒョクチェは呆れたように笑った。
結局、この人は大切な人に甘い。
そういういいところに、早くドンへヒョンも気づけばいいのに。


ため息をはきだすヒョクチェの肩に手をポンと置くと、
「なんだよ、それ」と笑われた。
でもすぐに真剣な表情になったヒョクチェは、キュヒョンを真っ直ぐ見つめて言った。


「キュヒョナもちゃんと、これからも素直になれよ」


先に楽屋を出ようとするヒョクチェの背中に、そっちこそ、と心の中でぶつけてやった。
返事は返ってこない。本当に、素直じゃない人だ。


そういうところも含めて、ドンへヒョンに愛されて欲しい。


 *******


暫く時間を置いて楽屋を出た。
廊下の冷えた空気を胸いっぱいに吸い込むと、喉のあたりをひんやりとした何かが伝う。

スタジオに戻ろうとして体の向きを変えると、走ってきたのか、上がった息のソンミンがいた。


「…遅かったから、迎えに来ちゃった…」


ソンミンは照れたように笑って、キュヒョンに近づく。
汗をかいたのに甘い匂いが漂うこの人は、本当に不思議だ。


「結構時間たったけど…具合でも悪かった?」

「や、違うけど…」

「じゃあ、考え事?」


ソンミンが細い肩を揺らして笑う。
ほんの少し意地悪っぽい言い方に、キュヒョンは戸惑った。
いつの間に、こんな顔をするようになったのだろう。そんなに、魅力的にならないでほしいのに。


「キュヒョナの考えてたこと、なんとなく分かるかも」

「え…」

「なんなら、当ててあげようか?」


ソンミンはキュヒョンの耳に口元を近づける。
久しぶりに近づく距離。鼻孔を掠めるふんわりとした匂い。

これで心臓が高鳴らないわけがない。


ソンミンはフッと小さく笑って、いつもより少しだけ低い声で言った。





―キュヒョナが考えてたことって、僕のことでしょ?





「…大当たり、かも。」


なんとなく言葉を濁して言うと、ソンミンは楽しそうに笑った。
耳のあたりに集まった熱が冷めなくて、その熱が顔まで届きそうで怖い。

いつだってやっぱり、彼には敵わない。
最初から無駄だということなんて、知っていたのに。


「ねえ、ミニ」

「ん?」

「ミニは、誰の恋人なわけ?」


頑張って意地悪っぽく言ってみたのに、なんだか拗ねたような言い方になってしまう。
気づかないでほしいのに、案の定ソンミンはフフッと笑って、キュヒョンを見つめた。


「そんなの、キュヒョナに決まってるじゃん」



今ならたぶん、最高ににやけた顔を撮ることができる。
集まりかけていた熱はさっと引いて、代わりに胸の奥から込み上げてくるような暖かさを感じる。



やっぱり彼には敵わないけど、今夜は、彼は僕には敵わないだろう。


それは、甘い夜の前兆。





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