3

「いらっしゃいませ…」


これでもう何回目だろう。
店に入ってくるお客を見て、キュヒョンじゃないと知ってガッカリするのは。
寝坊しました、みたいな感じで、キュヒョンが店に来るのを、ずっと待ってるのに。

あの日から、キュヒョンは店に来ていない。
マスターは呆れて、ウニョクはずっと不機嫌だ。


ソンミンが黙々とコーヒーを淹れていると、肩をポンとたたかれる。


「ねえ、ミニ。」


振り向くと、いかにも不機嫌といった顔をしたウニョクがいた。
昔から、そういう奴た。
自分の身の回りの人のことになると、自分のこと以上に態度に出す。
人を思いやるところが、コイツの長所だと、ソンミンはいつでも思っていた。


「キュヒョナさ、もう5日じゃん。そろそろ様子見てきた方がいいと思うんだけど。」

「様子?」

「そう。それで、さっきマスターに住所教えてもらったから、ミニ行ってきてくれない?」


ソンミンはウニョクが差し出したメモ用紙を受け取る。
紙には、殴り書きなのか、綺麗とは言えない文字で、住所が書かれていた。


「もう今みーんな忙しくてさ。大丈夫?お願いできる?」

「…うん、分かった」


ウニョクはぱあっと笑顔になって、よろしくの一言を言って去って行ってしまう。
昔から、思いやりがあって、明るくて元気で、ちょっとゲンキンな奴で…

そういうところも含めて、ウニョクのことは気に入ってるんだけど。



ソンミンはメモをポケットに突っ込んだ。
心は何故か、弾けるように、踊っていた。


 *******



普通と言えば普通なようで、普通じゃないと言えば普通じゃないのかもしれない。

住所通りに来たところは、家とは言えないようなプレハブの建物だった。
周りには草や苔が生い茂っていて、プレハブは錆びて軋んでいる。
薄っぺらい板の屋根は、今にも吹き飛びそうだった。


ソンミンは恐る恐る近づいて、銅色になったドアをノックする。
そして程無く、キィとドアが開いた。


「はーい…」

「あ、キュヒョナ!」


眠たそうに目を擦りながら出てきたキュヒョンに、ソンミンはホッと安堵する。
キュヒョンは目を丸くしてソンミンを見つめ、呆然と突っ立ったまま。
そんなキュヒョンが何だかおかしくて、ソンミンは思わず吹き出してしまう。


「もう全然カフェに来てないから、様子見に来たんだけど…」

「あ、そっか…」


キュヒョンは眉を下げて笑って、ソンミンを手招きで部屋へ入れる。
ふわりとキュヒョンの香りが漂って、ソンミンはうっとりとした。


どこかで嗅いだことのある匂い。なんとなく落ち着くというか…


ソンミンはハッとなって目を見開く。
肺一杯に空気を吸い込むと、頭の中をすごいスピードで記憶が巡っていく。



違う。違うんだ。キュヒョナとは、まだ一度も会っていない。


記憶の中に、キュヒョンはいない。
でも、確かに、妙な何かを感じるというか…
今まで会ったことがあるというより、本能が何かを伝えているような…



「そこらへんにテキトーに座って」



ソンミンはキュヒョンの言葉でハッと我に返る。
部屋の中を見回すと、殺風景な部屋の中に、なんとも場違いなテーブルが一つ。
生活感のかけらもない部屋に、ソンミンは思わず眉を寄せる。


「キュヒョナ…こんなところで生活してるの?」

「え?」

「いや、なんか暮らしてるような気がしないというか…」


キュヒョンはああ、と納得したように頷いて、ソンミンにコーヒーを差し出す。
ほろ苦い香り。ソンミンの苦手な、ブラックコーヒーだ。


「まあ、どうせすぐに出ていくから、家なんてどこでもいいかなって。」

「すぐに出ていくって?」

「もうそろそろの話。引っ越すって言うか、なんていうか…」


キュヒョンは小首を傾げて、苦笑いを浮かべた。
つられて笑ったソンミンだって、多分苦笑いになってしまっただろう。
ブラックコーヒーを啜ると、なんとも言えない苦みが、口の中に広がって、
ソンミンはまた、苦笑いを浮かべる。


「もうそろそろって…結構急な話だね」

「うん、まあ…もしかして、寂しい?」

「んなっ!!!」


慌てて吹き出しそうになったコーヒーを飲み込むソンミンを、
キュヒョンは楽しそうに笑みを浮かべて見つめる。
勢いよく飲み込んだコーヒーは、心なしか、甘い。

まるで、キュヒョンの笑顔のように。


「冗談だよ、冗談。本気にしなくてもいいのに」

「なっ!本気になんかしてない!!自惚れるな!!!」


キュヒョンは見据えたような目でソンミンを見る。
ソンミンはむうっと頬を膨らませて、すっかり不機嫌だ。


「自惚れてなんかないよ。ちょっとノリで言ってみただけ。」

「………キュヒョナ」

「ん?」

「明日から、絶対店に来てね」




―離れていってしまうなら、ほんの少しでも、君の傍に。





キュヒョンは「分かってる」、と笑って、ソンミンの頭を撫でる。

ブラックコーヒーは、いつの間にか、全部飲み干してしまっていた。



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